ヨドバシカメラ論

昨日の午後突然思い立って秋葉原に行ってきた。
東京に行くのは先月23日に池袋に行った以来っぽい。
結局鉄道が開通しても東京に行く頻度って増えない。
つくばで事足りていたくはないんだけどなぁ。

ヨドバシカメラに初めて行った。

やっぱりでっかいですね。


びっくりしたのが8階レストランフロア。
電気屋に、どうして食べ物屋さんがあるんだ!
でもこれがアキバ人間にとってのデパートの形なのかな。
生活の隅々まで――性欲の処理さえも含めた隅々まで
機械に依存して生きていける現代社会において、
消費活動のほとんど全てが電気屋で事足りるんだけど、
唯一「食事」という領域において、デジタルは
アナログを超えることができない、とか。


そんな空論をよそに、8階レストランフロアは
週末の一般客、家族連れで賑わっている。

清潔感

むしろヨドバシカメラ秋葉原店という空間は、
先述のアキバ人間=オタク的な存在を排除している。
「萌え」「エロ」を徹底的に寄せ付けない。クリ〜ン。


7階CD・DVDコーナーの片隅に、
追いやられるようにしてAVコーナーはあった。
しかし、その規模を計ってみると、自分の歩幅で30歩弱。
あれだけの売り場面積を誇る店舗で、
エロと萌えの空間が30歩弱とは、作為的なものを感じる。


思うに、ヨドバシカメラ秋葉原店は、秋葉原ではないのだ。
いや、正確に言うと、「現在の秋葉原」ではない。
10年前までの秋葉原の姿が、そこにあるのではなかろうか。
その空間は、秋葉原が辿ってきた時間軸を逆行させている。


戦後の闇市としてパーツ販売のメッカであった秋葉原
その後、経済成長の繁栄期に、家電の街へと変貌を遂げた。
右肩上がりの幸福の時代、三種の神器に始まり、
秋葉原の街には「進歩の象徴」の全てが揃っていた。
その後、バブルははじけ、家電への夢も薄れ、
ハードからソフトの時代へ移ろう中で、
萌えの文化が秋葉原の街を侵食していく。


ところが今、再開発が進められる秋葉原の姿は、
かつての経済期を思い起こさせるものだ。
そして秋葉原の新たなランドマークたるヨドバシカメラでは、
クリーンなフロアを売りに、再び揚々と家電が販売されている。
二つの事象は、きっとそれなりにシンクロしているはずだ。